兵庫県淡路市/菜音ファーム MUDO(菜音ファーム村長)

MUDO(菜音ファーム村長)

兵庫県淡路市/菜音ファーム

おもう学科 農思想学類

その昔、東京の六本木や渋谷でCLUBを経営していたが、震災を機に家族で淡路島に移住。無農薬の有機農業を志す。移住当初は地域になかなか受け入れてもらえなかったところ、農業や漁業のアルバイトを複数掛け持ちしつつ、自分たちの農法を有機農法と呼ばず「お金かけない農法」と呼んで様々な実験を繰り返していくうちに地元の人々にも認められるようになってきた。今では宿泊施設の経営や農業体験スクール、野外音楽フェスなどの事業を組み合わせながら、仲間と共に充実した農ライフを送っている。

プロフィール

360日パーティー生活からの決断。クラブから畑への転身と考え方とは

淡路島の「菜音(ざいおん)ファーム」で自然栽培をしている菅原伸悟さんは、MUDO(ムドー)という名前で親しまれて暮らしています。4児の父であるMUDOさんは、初対面にして温かい笑顔で迎え入れてくれる、どこか安心する低音ボイスの持ち主。農園の名前「菜音=ZION(ザイオン)」は、レゲエ用語で “聖地”という意味から来ていて、まさに「食」と「音楽」で人々の集まる場所を作り続けているMUDOさんらしさがにじみ出ています。それにしても、なぜ縁もゆかりもなかった土地、淡路島で自給自足の暮らしを始めることになったのでしょうか。彼のライフストーリーを伺ってみました。

365日中360日のパーティー生活

僕は埼玉に生まれて、小学生の頃から変わっていると言われるタイプの少年でした。それでいて小学校6年生の時に、交換留学で自分以上に意見を主張するアメリカ人を目の当たりにしてからは、『もっと自己主張をしてもいいんだ!』と更に気合いが入って。(笑)高校進学で東京に出てきてから仲間を集めるパーティーを主催することに目覚めて、そんなことばっかりやってたら“パーティーのやりすぎ”って理由で学校をクビになりました。前代未聞ですよね。(笑)それから六本木のクラブを経営する誘いを受けて、17歳から20歳の3年間くらいクラブを経営していました。クラブを経営中に、ご縁で歌手“MISIA”のマネージャーを2年間させて頂いて、その中で芸能界を知ったり、色んな経験をしました。仕事に打ち込んだ分結果もついてきてお金も持っていたので、その後はそれを資金に世界中を放浪する旅に出ました。僕は音楽が好きなので、音楽にまつわる色んなフェスとかクラブとかを回っていたんですけど、その時に日本のクラブって全然だめだなと思ったんですよね。当時、日本のクラブのお酒があまりにも美味しくなかったし、店スタッフのイケてない態度とかにもうんざりしていて。その旅行をきっかけに、“美味しいお酒と美味しい音のエンターテインメントクラブ”をコンセプトにして、仲間と新しくクラブを渋谷に立ち上げました。それが毎週800人〜1000人のお客さんが遊びに来る場所になって盛り上がったので、23歳で“プロデューサー・専務”って肩書で月150万の給料をもらっていました。西麻布にマンションを買って住んで、“ザ・都会”っていう感じの暮らしを15年続けて、通算3500本のパーティーを主催して。休んだのはお正月くらいで、フルスロットルで稼働していたんですけど、今思い返すと、人と人のつながりを大事にできるような“たまり場”の形をひたすら模索して、突っ走っていた感じがしますね。

クラブから畑へ

そんな生活の中で結婚をして、子どもも授かって、家族を持つ父になってから人生最大の転機が訪れました。野菜嫌いだった長男が、実家のばあちゃんのほうれん草の収穫を手伝ったのをきっかけに、野菜を食べられるようになったこと!それを見て、『クラブなんかやってる場合じゃない、畑をやらなきゃ』と思って、次の日から衝動的に畑を探し始めました(笑)。お店も会社もあったので東京近郊で探していたんですが、普通の人って農地を借りられないんだってことをその時に知って。長野の仲間のところしか土地を借りるあてがなかったので、まずは長野で畑を始めました。ファーム長をおいて、平日はその人に任せて、自分たちは週末に畑に通うスタイルだったんだけど、農業とか食のことを調べれば調べるほどはまっちゃって。思い切ってクラブを閉めて、“食”と“音楽”をテーマにした野外イベント『菜音フェス』を立ち上げました。3回開催して3年が経った時に、このまま“畑通い”を続けるんじゃだめだなと思って、館山に2万坪の土地を買ってそこに住みながら本格的に農業を始める準備をしていたのですが、その契約の一ヶ月前に東日本大震災が起きました。直感的に、次の日には0歳の娘と3日分のオムツと食糧を抱えて家を出て、一家6人で大阪の先輩の家に3ヶ月間住まわせてもらって。人生初の3ヶ月ニート生活、このままで大丈夫か?そろそろ自分で動き出さないと、と焦りはじめたタイミングで館山でやろうと構想してたことを淡路島という土地で始めようと腹をくくって、引っ越しました。訪れたこともなければ、知り合いもいない。戦前も戦後も食料自給率100%以上の島、国生み神話が語り継がれる“淡路島”で、ゼロからのスタート。

お金をかけなくても、幸せに暮らせる

僕としては、新たなコミニティーモデルとなる『たまり場』を作りたいということがあって、小さな丘の上のキャンプ場に場所を決めて引っ越しました。所沢ナンバーの青い車だったので『避難民』と呼ばれる日々(笑)。でもそのおかげで『避難民でしょ、バイトしない?』って声かけてくれる人もいて。2年半はとにかくバイトを4つくらい掛け持ちしながら、家族の生計を立てていました。農業のバイトで知り合った人が貸してくれた小さな畑1枚から農業を始め、35年前まで田んぼだった耕作放棄地を開墾し、だんだんつながりが出来てくると、畑が増えるという感じ。畑が増えたらバイトを減らして、という具合で4年経って、ようやくバイトをしなくても自分の畑で生活出来るようになってきました。家族や仲間と過ごす時間も大事に出来て、みんなで協力してここまでこれたんだと思います。
移住してきて農業を始める時に、農業復旧所で相談したら『1000万くらい貯金がないと農業は始められませんよ』って言われちゃったんですけど、僕は移住したてなので以前とは打って変わって借金しかない状態で(笑)。それでも、考え方とか方法を工夫して、『僕、お金ないんですよー』と言いながらとにかくなんでも全力で手伝って、『ありがとう』って言葉とともに野菜とか道具をもらって、その土地の縁や資源を大切にする。そうして結果的に、農薬や化学肥料に頼らないでその土地にあるものと自然と菌にお任せするのが良いなと思ったのが理由で、自然栽培・無農薬で野菜や米をつくり続けています。僕はそれを『お金をかけない農法』って名付けて実践しているんですけど、それは『お金がないと農業は始められない』っていう誰かの“都合”への反骨心でもあるのですよね。農業にはまだまだ壊していかなきゃいけない壁もある。もっと日本の農業を沢山の方々が面白がって楽しんでいくことこそ、次世代に繋げるために出来ることだと思っています。人を良くと書いて食、田んぼに力で男。全国の兄弟、姉妹たち。田んぼ、畑で農ライフを実践しましょうよ。PEACE1LOVE

クラブ経営時代も、淡路島で農的ライフを送る現在も、人と人とのつながりを大切にして動き続けているMUDOさん。菜音ファームには年がら年中、海を超えて仲間が訪れます。直感的なジャッジで、タイミングを逃さず即行動するMUDOさんの意志の強さ、そして何よりもその愛情に心惹かれているのでしょう。

お金をかけない農法

{The CAMPusとは}

日本の農業の未来には、テクノロジーを磨くことよりも、情熱的な人が育つことの方が大切であると考えます。
農業をもっと多くの人に「かっこよく、たのしく、もうかる」ものであると実感してもらいたい。
そしてその数をどんどん増やしていきたい。

The CAMPus は、インターネットをプラットフォームとした
『日本の農業の未来を担う若者たちの“ワクワク”を育む学び舎』です。

The CAMPus

2017.11.30 START