東京都奥多摩郡/株式会社東京・森と市庭 営業部長 菅原和利

菅原和利

東京都奥多摩郡/株式会社東京・森と市庭 営業部長

そだてる学科 山林学類

株式会社東京・森と市庭(いちば)営業部長。1987年生まれ、神奈川県小田原市出身、東京都奥多摩町在住。法政大学人間環境学部在学時から奥多摩町でまちづくりに取り組み、卒業後は同町へ移住。空き家をシェア別荘化する事業などを行う地域プロダクション会社を23歳で起業した後、不動産営業を経て株式会社東京・森と市庭へ合流。同社ではオフィス及び保育園向けに東京産の杉・檜を活かした木製品の商品開発・営業、奥多摩での林業・木育体験などを担う。大の釣り好きで、初釣りは保育園生時代という経歴を持つ。

プロフィール

「緑に、奥多摩に、生きてる間に恩返しがしたいなって思っています。」

森に入るのはいつぶりだろう?東京都の奥多摩地区で、“森と人”との共生をテーマに活動を広げる「株式会社 東京・森と市庭」の営業部長・菅原和利さんに案内されて、木々の間をすり抜け山を登っていく。地面には脈々と根っこが張っていてつまづきそうになるので、言葉を交わしながらも歩くという行為に神経を傾ける。菅原さんはというと、同じ道を歩いてるとは思えないほど身のこなしがスマートで、息も上がっている様子もなくうっかりその姿に見とれてしまう。風で少し揺れる森の風景が、まるで菅原さんを受け入れているみたいにも見える。森での会話の中で印象に残った「恩返し」という言葉をヒントに、大学卒業後小田原から奥多摩に移住し、今の仕事につくまでの菅原さんの人生を伺ってみました。

森での優しい原体験

一言でいうと“多動”な子どもだった僕は、走るスペースがあれば走る、もぐるスペースがあればもぐる‥といった具合にとにかく落ち着きがなくて、大人から異常だと思われるほど(笑)。神奈川県横浜市に生まれて、『四季の森公園』という自然いっぱいの大きな里山公園が近所にあったので、木登りしたり、走り回ったり、いつでもそこに行って遊んでいました。人一倍活発な幼少期だったんですが、小学校に上がってから喘息にかかってしまったんですよね。当然走ったりも出来なくなるし、入退院を10回ほど繰り返してもなかなか良くならなくて、症状もかなり深刻でした。でも、そんな中でも森にいくと不思議と症状が和らいだりする体験をしていました。その後、『住環境に原因があるのかもしれない』とお医者さんがアドバイスしてくれたのがきっかけで、思い切って一家で小田原市に引っ越すことにしたんです。横浜では、市街地の団地に住んでいたんですが、新築の一軒家でより自然に囲まれた環境に住まいを移すと、とたんに喘息が落ち着いて、みるみる体調が良くなっていくのが実感としてあって。その時に、「森」や「自然」に助けられたという感覚が僕の原体験になっていて、森に恩返しをしたいっていう気持ちが根底にあるような気がしています。

“豊かさ”は、奥多摩に

小田原市に引っ越して地元の中学・高校に通ってからは、法政大学の人間環境学部に入学しました。森とか自然環境に興味があったので、入学してからはすぐ環境系のサークルに入って、内容もよく分からないまま先輩について行った先が、ここ奥多摩。活動内容としては、環境問題を考える上で、山に住む人の暮らし方を教えてもらったり、奥多摩活性化のプラン出しをしたり、どのようにしてコミュニティを作っていくかということを町長・副町長さんと考えたり。自給自足で生きている森の中のおばあちゃんとか、裏にある木を使って、自分の家を建てて暮らしている夫婦に出会ったり‥気付いたら、片道3時間半かかる奥多摩に幾度となく通うのが日常になっていて、奥多摩の自然だけじゃなくて、そこに住む人々にも魅力を感じてのめりこんでいました。その頃、ゼミでは哲学を専攻していたこともあって『人間にとっての本当の“豊かさ”はどこにあるんだろう?』という本質的な部分を考え始めたタイミングだったんですよね。奥多摩にはそのヒントがあるような気がして、そんな可能性に満ちている奥多摩自体が豊かになるために解決するべき課題も、サークル活動を通じて見えてきていたので。卒業を待たずして奥多摩に移住、そして奥多摩で起業をしました。まさに多動的です(笑)。

身体経験となる価値を

大学卒業したてで、もちろん何もスキルがないわけですけど、人との繋がりだけはあって町の方々に応援してもらって、なんとか奥多摩で生きていく日々がスタートしました。大学時代、コミュニティのつくり方に考えを巡らせていたんですが、やっぱり地域を豊かにするのに1番重要なのって、賑わう居酒屋とかカフェとか、目に見えて、手で触れられて、身体的に経験の出来る価値なんだってことに気づいたタイミングがあったんですよね。自分はあくまで脇役で表舞台にでる必要はないんですけど、地域資源を活かして、触れる価値にしてあげるってことをやりたいなと思って。数多く存在する空き家を、シェア別荘として活用する事業と、奥多摩の自然を活かしたアウトドアウエディングのコーディネート事業を主にやっていました。3.11の時には、被災地で遊び場を失っている子どもたちに向けて奥多摩でキャンプ事業をやっていたりもして。それで1年もがいて、やっとやりたいことが形になって来た時に、家の事情で小田原に戻らざるを得ない状況になったんです。奥多摩ではまだまだこれからやりたいことがあったし、未練もあったんですけど。こればかりは仕方ないなと、小田原に戻ることを決断しました。

思いが繋いだ縁

それから小田原に帰ってからは、不動産の営業職に就いて、今までとはまったく間逆な“数字の世界”に飛び込みました。最初はやはり奥多摩のことが気になって集中出来ない時期も続いたのですが、気持ちも切り替わって成績も上がってきて。この時期に学んだことも自分のなかでは大きくて、自分の営業スタイルとか数字の考え方とか、確実に今に生きていますね。そうして小田原に戻って1年半になった頃、『株式会社 東京・森と市庭』の設立のタイミングで、一緒に働かないかと声をかけていただきました。不動産の会社にはお世話になっていたので2つ返事とはいかないものの、奥多摩に戻れるまたとないチャンスで。小田原での暮らしに一区切りつけてから、東京・森と市庭では営業部長として、奥多摩の暮らしが再スタートとなりました。好き嫌いがはっきりしている方なので、奥多摩にこんなに深く関わることになるなんて、自分でも思ってなかったですね。これからもずっと住みたいと思っているし、今後、奥多摩に来てアクションを起こそうと思っている人を応援していくことも、やっていきたいことのひとつです。

そんな菅原さんの車のトランクに、なんと竿を発見。聞くと、保育園の時からおじいちゃんに倣ってコイ釣りをしていたらしく、小学生で既にルアーを操るようになっていたとのこと。奥多摩には水が澄んだ渓流がいくつも存在していて、釣り好きにはたまらないロケーションなんだろうなぁと思いながら、奥多摩の木で火をくべて魚を焼いている菅原さんの姿を思い浮かべていました。

森 × ビジネスマン 〜心が豊かになる地域での働き方講座〜

{The CAMPusとは}

日本の農業の未来には、テクノロジーを磨くことよりも、情熱的な人が育つことの方が大切であると考えます。
農業をもっと多くの人に「かっこよく、たのしく、もうかる」ものであると実感してもらいたい。
そしてその数をどんどん増やしていきたい。

The CAMPus は、インターネットをプラットフォームとした
『日本の農業の未来を担う若者たちの“ワクワク”を育む学び舎』です。

The CAMPus

2017.11.30 START