脱サラ農家の逆車線人生学

情報更新日:2017/12/02

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新規就農するまでの紆余曲折-農家ってどうやったらなれるの?

梁寛樹
千葉県館山市 / RYO’S FARM
  • はじめる学科
  • 新規就農学類

講義の説明

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サラリーマン時代の葛藤が新規就農への道を拓く。
早稲田大学在学期間のうち1年間はアメリカのインディアナ州に留学していたRYOさん。インディアナ州の冬は便器が凍るほど寒いそうです。そしてこの留学の経験から「日本のトイレを世界に広めたい!」と、国内大手の住宅設備機器の製造メーカーに就職しました。職業選択について、「お金を稼ぐことよりも別の価値観、職人気質、日本のモノづくりへのこだわりを重視しました」と語ります。

農的暮らしへの目覚めは、恋人へのプレゼント!?

今から遡ること7年前、恋人(現在の奥様です!)と付き合い始めて3年ほどが経ち、今度の誕生日は何をプレゼントしよう?と考えた頃のことでした。

悩んだ結果、なんとRYOさん…畑一面に実った野菜を、畑ごとプレゼントしたのです!曰く、「彼女が友達に『誕生日プレゼントなんだったの?』って聞かれたら、『畑をもらったの!』、『えー!?素敵ー!』って、なんか面白いじゃないですか?」とのこと(笑)。

彼女のために、当時住んでいた杉並区に10平米の区民農園を借りることにしたそうです。

東京での週末農業、半農半Xの限界

恋人にプレゼントした畑では、様々な野菜の栽培を試みたものの、当時はサラリーマンだったため、畑に行けるのは週末のみ。結果、畑が荒れてしまい、丹精を込めてもなかなか納得のいく美味しい野菜ができず、週末農業の限界を感じはじめます。「手に職があったり、自由な時間で働ける人であれば、いわゆる半農半X的な暮らし方はできるのかもしれませんが、平日勤務のサラリーマンには難しいと実感しました。サラリーマンをやりながらの農的暮らしは綺麗事ではないかと思うようになりましたね。」

では、そもそもいつから、RYOさんは農的暮らしを志したのでしょうか?背景には学生時代の経験に加え、サラリーマン時代の葛藤と強い想いがありました。

サラリーマン時代の葛藤が新規就農への道を拓く

大学時代は早稲田大学の国際教養学部に在籍し、在学期間のうち1年間はアメリカのインディアナ州に留学していたRYOさん。インディアナ州の冬は便器が凍るほど寒いそうです。そしてこの留学の経験から「日本のトイレを世界に広めたい!」と、国内大手の住宅設備機器の製造メーカーに就職しました。職業選択について、「お金を稼ぐことよりも別の価値観、職人気質、日本のモノづくりへのこだわりを重視しました」と語ります。

入社時の配属は内勤のマーケティング部門のブランド戦略室で、商品のブランディング、ターゲディングを担当する中で、「きちんとした商品、いいものを届けたい」という気持ちをより強くします。ちなみに当時在籍していた会社の社是に「良品と均質」という言葉があり、この言葉は農家になった今でも時々思い起こして噛み締めているそう。マーケティング部門の次は、広報部門へ異動です。ここではPRやマスコミ対策(自社商品をどう取り上げてもらうかといった仕事)に携わります。

※サラリーマン(広報所属)時代のRYOさん
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広報部門では、様々な新聞や外部情報に接する機会が多く、その中でいつしか「日本の農業が危機に瀕(ひん)している」といった情報が目に止まるようになりました。一方で会社での仕事に対して当初思い描いていたものとのギャップを感じ始めていたようで、「大きな会社だったので、仕事の分業化が進んでいて、広範囲に製品をプロデュースしたかった自分には物足りなかったんです」と、語ります。

同じころ、RYOさんは週末、趣味のサーフィンをしに千葉県館山市に通っていました。通うにつれ、館山市への愛着が増し、「館山で、週末農業ではなく、本気でゼロから農業を始めたらどうだろう?」と思い至るのにそれほど時間はかかりませんでした。

「大好きな館山で、新規就農するとしたら何がいいだろう?」、「南国ムード溢れる土地で、町のイメージに合うもの…。ゼロから始めて、自分で全部プロデュースできて、且つまだ人がやっていないことはなんだろう?」思いがどんどん膨らみます。

地域おこし協力隊として館山へ移住

そんな想いを後押しするかのように、当時館山市では地域おこし協力隊(以下:協力隊)の農業担当者を募集していたのです。もちろんすぐに応募。館山市に移住します。

協力隊として最初に担当したのはイチゴ農家。千葉県の中でも館山のイチゴの栽培は、一大消費地である東京に近いこともあり、なかなかの出荷量を誇っています。当時、お世話になっていたイチゴ農家さんに「協力隊の任期後はイチゴ農家になればいいじゃないか」と言われたこともあるほど、館山でイチゴ農家をやるということは、それなりに計算できるビジネスなのだそう。

しかし、RYOさんがやりたかったのは、熱帯系の果物だったのです…。

さて、ここが新規就農を目指す人にとっての最初の正念場。どういう農業をやりたいかを決めていないと、そのときの周辺環境に流されがちになるということです。もちろん流れに乗ることが悪いわけではありません。最初に就農した地域の農業方針に従うほうが、スムーズにいく場合も多々あります。

でも、「せっかく異業種から新規就農するのですから、自分がやりたいこと、人がやらないことをやってみたい」というのが強い想いでした。平行して市役所に熱帯系の果実栽培をする農家さんを担当したいという希望を出し、マンゴー農家の森宅さんの担当となります。ここで、熱帯系果実の水のやり方、葉っぱから生育状況をどう判断するかに始まり、現在のRYO’S FARMにとってなくてはならない農業技術の基礎を身に付けます。この森宅さんとの出会いが、現在のパッションフルーツ農家、RYO’S FARMを生み出すことになるのです。

人がやらないことをやる、常識を超える価値を提供

館山は、マンゴーをはじめ、気候風土的には南国系の果物が生育しやすい環境のはず。しかしマンゴーなどに比べると、パッションフルーツはメジャーな果物ではなかったため、認知普及からやっていく必要があり、販売面で苦労が多いと予想できました。しかし、一般的には酸っぱいという印象のパッションフルーツの味に対する先入観を逆手に取ることができれば、巷に出回る海外産の安い品種と比較して、”希少性”、”競争力”が高く、まさにこれは、「人がやらない」「常識を超える価値を提供」できるチャンスだ!と、思い至ります。

今だから言えることかもしれませんが、と断りつきで、RYOさん曰く、「地域の農家のおじいちゃんに否定されたら、それはチャンスだと思ってください」だそう(笑)。その土地で代々培ってきた農業を否定せず、まだ手付かずの領域を自分のチャレンジの場と位置付けてトライしてみる、これも新規就農者の特権です。

<RYO's Lessons Learned>

1. 自分の信念・価値観を大切に

2. 新規就農だからこそ、やりたい農業のスタイルを思い描く

3. 自分を取り巻く環境の流れに乗るが、流されない

4. 地域を否定せず、自分のやりたいことは妥協しない

5. 否定されたらチャンス

次回は「第2回 - Relation: RYOさんの師匠、サポーターの方々」をお届けします。RYO’S FARMを立ち上げるまでに、どのように人間関係を構築していったのかを深掘りします。一般的に田舎に移住して苦労するといわれる人間関係ですが、具体的にどんな苦労があり、それをどう乗り越えて今があるのかを、RYOさんの師匠、サポーターと位置づけられる方々との対談も交えてご紹介します。

梁寛樹
千葉県館山市/RYO’S FARM

1985年、東京都杉並区生まれ。中学高校は早稲田実業でラグビー漬けの日々を過ごす。早稲田大学国際教養学部卒業後、住宅設備機器の製造メーカーに就職。週末は館山で趣味のサーフィンを楽しんだり、区民農園で野菜を育てたり。この頃から少しずつ農的暮らしに興味を持ち始める。WWOOFを利用して小笠原諸島の父島で農業研修を体験した後、26歳の時に一念発起し、退職金とわずかな貯金を頼りに、館山市に移住。館山市の地域おこし協力隊、農家での研修を経て、26歳で新規就農を果たす。 現在、館山市で15アール(1,500平米)、250本のパッションフルーツを栽培。育苗から栽培・収穫・販売、加工品の製造・加工・販売まで全ての工程だけでなく、ブランディング、PRなども一人でこなす。 プライベートでは3年前に結婚。奥様はまだ東京でバリバリ働いていて、現在は週末婚。波の状況、畑の様子、そして奥様の機嫌を見ながら、日々大好きなサーフィンと農作業に明け暮れる。

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