農ライフマインド学

情報更新日:2019/04/28

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“生きているだけで感謝”農ライフが教えてくれること

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仲間と一緒に自分たちで作るDIYなコミュニティーで農ライフを実践するMUDO村長。

朝6時までお酒を飲むパーティ三昧の日々から、朝6時から野菜を収穫する自給自足の暮らしへと、生活環境は180度激変。お金はもちろん大切だけれど、お金以外にもエネルギーの交換方法があり、家族や仲間、まわりの人たちとハッピーを共有することで、自分も楽しくなれる農ライフ。その極意とは?

日々新しい発見や体験が生まれ“感謝しかない”と語るMUDOさんの淡路島生活には、生きるヒント満載です。

もうパーティーやってる場合じゃない

「僕らのコミュニティーの名前は、野菜の“菜”に音楽の“音”で“ざいおん”って読むんですが、“音”の方は、元々東京で音楽をやっていたことに由来してるんですよ。15年ほど前には六本木と渋谷でクラブを経営していて、あとは音楽レーベルとか、アーティストのマネジメントをやらせてもらっていたんです。

もう一方の“菜”の方は、こどもがきっかけだったと言えるかもしれないですね。長男は3歳まで野菜が食べられなかったんですよ。ある時、おばあちゃんに連れられてほうれん草の収穫に行ってから、食べるようになったんです。『パパ〜採ってきた!』ってうれしそうにほうれん草を見せて。その時に『あ、オレ、もうパーティーしている場合じゃねぇぞ』ってこどもに教えられたような気がしました。

そんなことがあって、“全部手放して畑をやる!”って宣言した時には、みんなに『頭おかしくなったんじゃないか』って言われましたけどね(笑)。最初は長野の友人に畑を借りて、お米一反と大豆一反からスタートしました。週末に農業して、年1回埼玉で2,000人くらい集めて収穫祭のようなフリーフェスを3年続けてやったあと、2011年3月11日の震災を機に淡路島に移住したんです。

朝6時まで酒を飲んでいた生活から、朝6時から畑で野菜を収穫する生活へ、真逆の人生です(笑)。それまでの僕は、17歳から六本木でクラブを始めて、25歳ぐらいまでは背伸びしていた部分もあったし、豪快にやり過ぎちゃって、超ワンマン。年上の従業員もいたので、自分なりにどうやったらリーダーになれるだろうと、試行錯誤の連続でした。いいことも悪いこともいっぱいあって、いろんな失敗もしたけれど、若い時に痛い思いができたことはラッキーだったと思うんですよね。今は、昔のそういうイメージはいっさい封印しています(笑)」

 

DIYな暮らしが家族や仲間を豊かにする

「ここでは仲間と一緒に自分たちで作るDIYなコミュニティを目指していて、それが何かというと、昔の日本のような姿なんじゃないかと思うんです。三世代、四世代が一緒に暮らしておじいちゃん、おばあちゃんが孫の面倒をみたり、一緒に食卓を囲んだり。そういう生活が当たり前だったのに、戦争によって核家族化が進んでしまった。個人主義が当たり前になって、いろんな弊害が出てきている平成、これから始まる令和は、みんなで住むっていうのが大事なのかなって思います。

 “食と音楽の力で世界平和”を目標に掲げて活動しているんですが、『でも、世界平和って、まだまだ程遠いじゃん!じゃあ何からやるんだ!?』って考えた時に、まずは自分の家族や仲間が、ほんとうに楽しく自立し生きられていなければ、他人を幸せにすることはできないと思うんです。自分が楽しいだけじゃなくて、やっぱりまわりのみんなが楽しいから自分も楽しくなるんですよね。

ごはんを食べる時は毎日10人全員一緒です。家族じゃなくても顔を揃えて一緒に食べることで、リズムや波動が合い、いい流れができるのがわかる。シェフは当番制で毎日違います。みんなで住んでいるわけだから、ごはんを作るのも全員で分担する。お水汲みも毎週2回の当番制です。水道はあるんだけれど、淡路島にはおいしい湧き水がいっぱいあって、ごはんや味噌汁、お茶とか、全部湧き水を使いたいから、神社に100円持って汲みに行っています。女が作る、男が運ぶ、とかじゃなくて、なんでも分担してやると、空いた時間でそれぞれしたいことができるじゃないですか。こどものケアをしたり、他のことができるのも、お互いにとってすごくいいんですよ」
 

 

殺したのに食べなかった自分って、どうなんだ?

「この暮らしは毎日が冒険です。発見することや初めて体験することがたくさんあって、 “生きてる”と実感します。移住した当初から地元の人たちに“自給自足の生活がしたいんです”と言い続けていたので、いろんな人からあらゆることを教えていただく機会に恵まれています。『今日わかめ採りに行くぞ!』『えっ?わかめって採りにいけるんすかー??すげー!』みたいな(笑)。

いろんな経験をさせていただくなかで、7年前に初めて猪を殺した時のことは、今でも強烈に心に残っています。地元の猟友会のおじいさんに、檻にかかった猪の処理を手伝ってほしいと頼まれて、できるかなぁとビビりながら行きました。ワイヤーで仕留めた後、その猪を持って帰るか?と聞かれたのに、その時はとっさに『はい』とは言えなかった。技術がなくて、血抜きの方法や捌き方もわからなかったんですよね。

それから2週間ぐらいは、『生き物を殺したのに食べなかった自分ってどうなんだ』って、ショックを受けたし、考え込みました。こういうことだって、自分たちでできるようにしないといけないんじゃないか、と、仲間と話し合って勉強もして。まだまだ慣れないけれど、7年たってメンバーたちもそれぞれできるように成長しました。自ら手を下して命をいただき感謝して食べる。作物を育てるだけじゃなくて、これもDIYな農ライフなんだと思います」

 

10年前は考えられなかった“生きているだけで感謝”の日々

「なるべくお金をかけないで、自給自足できるものは自分たちでやっていこう、というのが僕たちのスタイルです。農をやっているのも、仲間の10人が豊かに暮らしていくために作っているのが大前提。その残りはエネルギー交換に使うことも多いです。物々交換というのかな。たとえば、ここに住んでいない人が大工仕事や農作業を手伝いに来てくれた時に、『今日はありがとうね』と言って報酬として渡すこともあります。それはお米だったり、食事の提供だったり、いろいろです。報酬としてお金がほしい人にはお金でもいいんだけれど、お米でもいいよ、という人にはお米で(笑)。

時々、ここにミュージシャンを呼んでイベントをすることもあるんですが、『じゃあギャラはお米◯◯キロね!』なんてことはよくあります。たとえば、成人男性が年間食べるお米は一俵(60キロ)程度と仮定すると、相手がOKならそういう物々交換もありなんじゃないかなと。相手が農家さんだったら、オレも作ってるからいらん!となるから、そこはうまくみんなで話し合って(笑)。

お金も大切だけど、お金以外にもエネルギー交換の方法はあります。まずは農ライフで、自分たちが食べる分がある程度まかなえていれば、大抵のことは乗り越えていける。自分ひとりでは無理なことも、仲間や地域の人をどんどん巻き込んで、大家族のように協力し合える関係を築くことが、農ライフの第一歩です。

たくさんの人たちがここに集まって、仕事を手伝ってもらったり、地元の人たちや先輩農家さんから生きるための知恵や技を習ったり “農ライフ”を実践していくなかで、いろいろな気付きを与えてくれる仲間やご縁には、感謝しかないです。毎日おひさまを見て、「ありがとうございます!生きているだけで感謝」、そんな謙虚な気持ちになれる暮らしが“農ライフ”なんですよ。目の前にある草を、雑草と思うか薬草と知るか、第三の目を研ぎ澄ますか。全てに感謝しかないのです。農ライフ is Beautiful」
 

MUDO(菜音ファーム&菜音キャンプ 村長)
兵庫県淡路市/菜音ファーム&菜音キャンプ

その昔、東京の六本木や渋谷でCLUBを経営していたが、震災を機に家族で淡路島に移住。無農薬の有機農業を志す。移住当初は地域になかなか受け入れてもらえなかったところ、農業や漁業のアルバイトを複数掛け持ちしつつ、自分たちの農法を有機農法と呼ばず「お金かけない農法」と呼んで様々な実験を繰り返していくうちに地元の人々にも認められるようになってきた。今では宿泊施設の経営や農業体験スクール、野外音楽フェスなどの事業を組み合わせながら、仲間と共に充実した農ライフを送っている。

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