講義の説明

情報更新日:2018/07/13

海水から作る山塩学

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海からおよそ20km離れた高知県の山間地で、塩作りを行う森澤宏夫教授。山で作る塩とはいったいどんなものなのでしょうか。「山」という言葉から、岩塩のようなものを想像しますが、実はこの「山塩」は、海水から作られる塩。車で約40分の距離を往復し、土佐湾の海水を山のビニールハウスへと運んで作っています。海水を汲み上げて乾かし、水分を蒸発させて作る塩は、作業効率的に考えると海の近くで作るのが定石。塩作りをするのに山を選んだ理由には、森澤教授ならではの極意がありました。

塩作りを始める前までは、大学卒業後から公務員として13年ほど勤務していたという森澤教授。国家資格である農業改良普及員試験に合格し、県庁職員として採用され、家族とともに安定した日々を送っていました。ところが、40歳で人生の転機を迎えます。

「40歳が近づいてきたときに、ふっと頭をよぎったのは、このままずっとこの仕事を続けていって、埋没するのは自分には合ってないな、ということ。もちろん農業改良普及員はいい仕事やったと思うよ。農業の勉強をして、新しい情報を仕入れて、それを農家の人たちに指導する。いい協力関係もできていたし、尊敬できる先輩もいた。でもなんか自分らしくない…って思っていたんです」

そんなときに高知県幡多郡黒潮町で発足した「生命と塩の会」に出会います。当時、塩は需要供給と価格の安定化などを目的として、日本専売公社(現 日本たばこ産業株式会社)による専売制度が実施されていました。そのため、塩を自由に売買することはできませんでしたが、その会では会員が会費を払い、塩をもらうという頒布会制度を作り、日本専売公社に許可を得て年間2トンほど塩を作っていたといいます。縁あってこの会に参加した森澤教授は、初めて食べた手作りともいうべき塩に、深い感銘を受けたのでした。

その後、自身の力で塩作りのためのビニールハウスを完成させ、2000年頃から塩の販売を開始。四万十町にある作業場のビニールハウスは3棟。1棟目は鹹水ハウスになっていて、海水を何度も循環させて濃縮し、塩分濃度を高める工程が行われています。天井のシャワーからは霧状の海水が降り注ぎ、その下には竹箒が何本も逆さまに並べられ、床には流木がオブジェのように置かれていました。「塩作りに竹箒?と驚かれる方も多いのですが、いちばん安上がりで、なかなか効率がいいんです」とここにはユニークな装備品がたくさん。

なぜ山で塩なのか?海水をわざわざ山に運んでまで作る理由は、ひとつは住まいがそこにあったということ。そして、山が太陽の光を遮って、海よりも日照時間が短いことがかえって塩作りにはメリットになると考えたから。日照時間が長いほうが、海水を乾かす上では有利に思えますが、効率性とか合理性とか、仕事をしていく上で常識とされるようなセオリーは、ここでは無縁。「森澤ルール」ともいうべき非効率のなかに、山塩の真髄があります。

独創的で創意工夫にあふれた山での塩作りについて、また、地域ごとのいわゆる「地塩」を作ることの大切さを語る森澤教授の「山塩小僧チェーン構想」について、講義を行っていきます。

森澤宏夫
高知県高岡郡四万十町/塩の邑 代表

1954年、兵庫県神戸市に生まれる。工業系高等専門学校在学中に親戚の田植えの手伝いをしたことで、農業への興味と関心が芽生え一念発起し、香川大学農学部への進学を果たす。卒業後、祖父と父の故郷である高知県で県庁職員となり、農業改良普及員として13年間勤務。営農指導員を指導する立場で農業の近代化などの普及教育活動に携わっていたが、38歳で会員制の塩の頒布会と出会い、手作りの塩の味に感動。塩作りに興味を抱くように。40歳を目前にした頃、安定していた公務員の職を辞し、塩の道へ飛び込む。仲間と協力し合いながら塩作りに携わった後、独立。「山塩小僧」という名のこだわり塩を生産している。海で汲み上げた海水をわざわざ山へ運び、ビニールハウスの中でじっくりと乾かして作る「山塩」と向き合い20数年。とがりのないまろやかな旨みが特長の塩は、地元のみならず全国各地の山塩小僧ファンから愛されている。